「報恩講」が勤められました。

11月3日(金)文化の日

宗祖親鸞聖人の「報恩講」が勤められ、大勢の皆様がお参りくださいました。ご法話は竹部俊惠先生(妙蓮寺住職・本願寺横浜別院 前輪番)。富山県南砺市の井波からご出講くださいました。
「報恩の報、報いるとは、私が知らされたことを自分の生きざまとして行じていくこと」。このことを親鸞聖人のご生涯をたずねつつ、さまざまな角度からお話しくださいました。

〈法話聞書〉文責・専行寺
・「恩」ということが忘れ去られ、「報恩」という言葉を聞いてもピンと来ない時代になっているかもしれません。インド仏教にも「恩」を意味する原語があります。パーリ語で「カタンニュー」と発音される言葉です。「カタン」とは「私を私たらしめているものがある」そして「ニュー」とは「それを知らされる」ということです。「なされたことを知る」という意味で「知恩」と訳されます。私を私たらしめているものがあることを知らされるという意味なんです。
・私たちの常識的な考え方は、私がまずあって、そして私が生きていくうえで手助けになっていく都合のいいものを良しとし、邪魔なもの、都合の悪いものは悪しとしていく。お釈迦様が教えてくださっているのは、その私が私たらしめられているそもそものものがある、私を超えたものと言った方がいいのかもしれません。それが仏教の核心です。そういうことを「恩」という。そのことを何よりも身をもって教えてくださった方が親鸞聖人です。
・「報恩」とはその恩に報いていくことです。報道の報ですから「知らせる」という意味があります。知らせるためには自分がまず頷かなければならない。お互い知らせたり頷いたりして、その道を歩んでいく、行じていく。報いるとは行じていくこと。つまり自分の生きざまにしていくことです。浄土真宗の伝統では「念仏の信者」とは呼ばず「念仏の行者」と言いますね。「いい考え方ですね。信じます」というのは「報恩」ではなく「謝恩」なのでしょう。謝恩セールの謝恩講ではありません。
・自分が広い世界に頷かされ、頭が下がったならば、そのことをお知らせしていく。自分もその道を歩ませていただく。行じて自分の生き方にしていく。それが「報恩」のおこころなのです。

※次回の定例法要は2018年元日に勤められる修正会です。ぜひお参りください。

 

2017報恩講4
2017報恩講2
2017報恩講
2017報恩講6
2017報恩講5
2017修正会6

2017年10月の言葉

私というものは
私の思いより
もっと深い意義を持っている

安田理深


2017年9月の言葉

死の帰するところを以て
生の依るところとすべし

金子大榮


2017年8月の言葉

たまわった生命だから
私の生命であって
私のものでない

正親含英


「お盆法要」が勤められました。

7月9日(日)

お盆法要が勤められ、新盆を迎えられた方々をはじめ大勢の皆様がお参りくださいました。仏前で共に手を合わせ仏法を聴聞するご縁をいただくということは、私たちを導いてくださる諸仏として亡き人と出会っていく新しい関係の始まりです。
ご法話は藤本愛吉先生(三重県・正寶寺住職 / 京都大谷専修学院元指導主事)。生活実感のなかでの仏法の受け止めをお話しくださいました。

〈法話聞書〉文責・専行寺
・「自分の人生に悔いはないか?」 昨年、心臓の手術をする前にこんな問いが湧きおこってきました。愛知の真宗門徒の農家に生まれ、36歳で浄土真宗の教えに会いたいと思い、一念発起して京都の学校で学んでお坊さんになりました。コツコツと勉強させてもらうなかで素敵な念仏の先生にもたくさんお会いすることができました。そして門徒さんに迎えられて、寺という自分の生きる場を与えられ歩んできました。いのちのギリギリのところで、そんな問いが湧きおこってきたのです。「ひとさまに一杯迷惑をかけてきたけれど、自分なりによう頑張って生きてきたかなぁ」と。そんな思いと共に麻酔で眠っていきました。手術後、裸で仰向けの自分の姿を見て、大きな赤ちゃんだと思いました。赤ちゃんなら赤ちゃんらしく何でも受け容れようと決めました。ここは仏様の教えを聞いてきて良かったなと思います。頭を使っちゃうと「なんでこんな目にあったんや」「なんでこんな体なんや」と悩むんです。仏さんの世界は「選ばず、嫌わず、見捨てず」だと聞いてきたので、身動きできない赤ちゃんにならせてもらおうと思いました。
・赤ちゃんとなって初めて飲んだ水は、これまでで一番美味しい水でしたね。ある先生が「いのちはみな繋がっています」「無味こそいのちの味です」と仰っていたことを思い出しました。当たり前にしていた水が新鮮そのものだったんです。生きていることはすごいことだなぁと改めて思います。仲野良俊先生が「何が不思議かと言ったら、こうして生きていること以上に不思議なことはないじゃないか」とよく仰っていました。皆かけがえのない一人一人として、この地上に生を受けて生きています。当たり前のように思って何も感じていなかった水を「これが水の味だ」と感じた。「いのちの味」です。私たちはいのちの新鮮な躍動を、咲きほこる花や採りたての野菜、生まれたての赤ちゃんに感じます。でも実はお年寄りだっていのちを生きているのですから、そのいのちは新鮮でピカピカなはずです。しかし、私たちの心が「何十年生きてきた」という思いをかぶせてしまうものですから、いのちのピカピカが見えなくなるのです。

・念仏に生きている人に出遇わなかったら、私も仏法なんてまったく聴くことはなかった。24歳の時、仏法を語り静かに「南無阿弥陀仏」と称えておられた先生のそのお念仏が響いて、ずっと私の人生を支えています。そういう「いのち」があるんだ。どうか目覚めていってほしいというのが仏様の願いです。お釈迦様が目覚めて「これが本当だなぁ」と。それを言葉にしたものが教えとなっているんです。「仏法」が「仏教」になった。目覚めて生きていく歩みを「仏道」といいます。これはお寺の所有物ではありません。いのちに根差した教えです。だから誰にでも響いていくものなのです。

・黒人解放運動のマーチン・ルーサー・キング牧師の『自由への大いなる歩み』という本を読んでいたら、面白い言葉を残しておられました。「人間はみなつながっている。あかの他人はひとりもいない」と。だから、キング牧師は白人がいくら暴徒化しても、白人を逆にいじめることは自分を傷つけることと同じだから、私は傷つけないと書いていました。まったくお釈迦様とひとつです。行き着くところにいくと、みな同じ言葉になって同じことを教えてくれるんだなと感動しました。私たちは当たり前のように生きて、少しでも楽に、少しでも楽しくと、どんどん欲望を広く使っていますけれど、根っこにあるいのちは、今ここにあることが本当に素晴らしいことだ、ここに安んじて生きていようと教えられているんですね。
・こうした法要を通して、亡き人を偲ぶなかで、今生きている事の確かさを確かめ合ったら、日々の新しい生活の中で何が大事なのか見つめ直していけるのです。

※次回の定例法要は、9月22日(木)秋分の日に勤められる秋彼岸法要。法話は渡辺誉先生(真宗大谷派東京教区駐在教導)です。
ぜひお参りください。

 

2017お盆4
2017お盆1
2017お盆3
2017お盆5
2017お盆蓮

7月・8月・9月の行事案内

7月

◇「お盆」(墓参・ご門徒宅お内仏参勤)
7月1日(土)~16日(日)

◇お盆法要に向けての「仏具お磨き奉仕」
7月4日(火)10時~12時(作業終了後、昼食)
 ※作業しやすい服装でお出かけください。昼食は寺で用意します。
 ※ご奉仕の可能な時間だけのご参加でも結構です。ご協力をお願いします。

◇「輪読会」
7月4日(火)13時~14時30分(上記の奉仕作業日の午後。昼食後に開催)

◇「お盆法要」
7月9日(日)11時~15時 
〈日程〉勤行・法話・お斎(食事)
〈法話〉藤本愛吉 先生(三重・正寶寺住職 京都大谷専修学院 元指導主事)
※大切な方のご命終を尊い仏縁として、私たち自身の生き方をともに尋ねてまいりましょう。どなたもご自由にお参りください。

8月

◇「お盆」(墓参・ご門徒宅お内仏参勤)
8月 1日(火)~16日(水)

◇お寺でカラダもリフレッシュ!「ピラティス教室」(申込制)
8月22日(火)13時30分(下記の仏教入門講座開会前に開催します)
〈指導〉竹井景子さん(ピラティス&ジャイロキネシス トレーナー /ダンス インストラクター) 
〈参加費〉500円
※ヨガと同じストレッチ効果とともに、体幹の筋肉を鍛え、脊柱や骨盤も整えていく「ピラティス」。普通に生活しているだけでは失われていく筋力を回復させてくれます。トレーナーの竹井景子さんは専行寺ご門徒のお嬢さんです。一人ひとりにあったトレーニングで指導してくださいます。
※お申込みは専行寺へどうぞ。

◇「仏教入門講座」
8月22日(火)15時(終了後、暑気払い懇親会)
〈法話〉「正信偈のこころ」海 法龍 先生(長願寺住職 / 首都圏広報誌『サンガ』編集委員)
※これから仏教を聞いていきたいという方にもわかりやすい入門講座。偶数月開催。

9月

◇秋彼岸法要に向けての「仏具お磨き奉仕」
9月13日(水)10時~12時(作業終了後、昼食)
※作業しやすい服装でお出かけください。昼食は寺で用意します。
※ご奉仕の可能な時間だけのご参加でも結構です。ご協力をお願いします。

◇「輪読会」
9月13日(水)13時~14時30分(上記の奉仕作業日の午後。昼食後に開催)
※『サンガ』(東本願寺「真宗会館」首都圏広報誌)『同朋新聞』(東本願寺発行)などを輪読しています。

◇「秋彼岸」
9月20日(水)~26日(火)
※墓参およびご門徒宅お内仏参勤

◇「秋彼岸法要」
9月23日(土)秋分の日 11時~13時30分 
〈日程〉勤行・法話・お斎(食事)
〈法話〉渡邊誉 先生(真宗大谷派 東京教区駐在教導)
※亡き人を偲びつつ「生きる」ことをともに尋ねてまいりましょう。
※簡単なお弁当を用意しています。墓参はぜひ法要に合わせてお出かけください。


「永代経法要」が勤められました。

5月21日(日)

永代経法要が勤められ、大勢の皆様がお参りくださいました。永代にわたってお経が読み継がれていくことを願って年に1度勤められている法要です。ご法話は白山勝久先生(世田谷・西蓮寺)。教えにふれていく私たちの姿勢を繰り返しお話してくださいました。併せて専行寺維持会総会も開催されました。

〈法話聞書〉(文責・専行寺)
南無阿弥陀仏とは言葉の仏さまです。
「阿弥陀」という言葉の原語は「アミターユス」です。意味は「無量寿」。「量ることができないいち」「量り知れないいのち」です。いのちの縦のつながりです。もうひとつの原語は「アミターバ」。意味は「無量光」。「量り知れない光」です。光は一瞬でその場に広がっていくものですよね。同じ時代に生きる者同士(いのち)が手を取り合うことを意味しているのではないかなと、私はいただいています。「無量光」はいのちの横のつながりです。無量寿は縦糸、無量光は横糸を表していて、その縦糸と横糸の重なる一点一点が私たち一人ひとりのいのちなのではないかなと思います。そうしたつながりを教えられると、人との関係を大切にとか、かけがえないいのち同士だから大事に生きていきましょうとなりますが、なかなかそうはいきません。しかし、確かにつながりを生きているのが私たちなのです。
「南無」という言葉の原語は「敬い」をあらわす「ナモ」「ナマス」です。インドやネパール、スリランカなどの挨拶は「ナマステ」と言います。日本語の「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」にあたる言葉ですが、「あなたに出会って良かった」とか「あなたのすべてを受け入れます」という意味もあるんだそうです。縦糸と横糸のまれなご縁をいただいて関係を結べた人間同士なんですから、本当はなかよくできればいいんですが、そうはいかない。かと言って捨てきれるものでもありません。そういうすべてのことをひっくるめていただくことが私の人生・私の生涯・私のいのちなんだなということを南無阿弥陀仏は意味しているんだと思います。

最近NHKの『SWITCHインタビュー』に出演され、『同朋新聞』2・3月号にも対談記事が掲載されていた盲ろう者の福島智さんが、昨年7月に起きた相模原市の障害者施設殺傷事件について発言しておられました。「重度障害者は家族にも迷惑をかけるし税金も使うからいない方がいいんだ」という容疑者の考え方は、彼だけの問題ではなくて、そういうことを思わせるような社会になってしまっているのではないかと福島さんは話しておられました。私たちは、やはり健康が一番で病気になったらダメだと思う。仕事でもバリバリできる人間が良くて要領の悪い人間はダメだと思う。そういうモノサシで人間を見る眼がいつの間にかできてしまっているんですね。そういうモノの見方をしてしまう社会が容疑者のような人間を生む。そういう心の根っこは誰しも持っているものです。

生活の中での出来事や社会の問題に対して当事者として生きることの大切さを思います。例えば、原発を良しとして当たり前に生きて来た当事者としての責任を抜きにして「原発はけしからん」「政府はなっていない」ということにしてしまいがちです。自分を抜きにして、自分を正義の側に置いてモノを見てしまいます。それは、自分をまっすぐなモノサシとして周りを歪んだものとして見ているわけです。しかし、はたして自分のモノサシは歪んではいなかったのか。

今日こちらの掲示板に「人として生まれた悲しみを知らないものは、人として生まれた喜びを知らない」とありました。人として生きるということは「自分が可愛い」というところでしか生きられない悲しみを背負っています。その中でこうした教えの場が尊ばれてきたということは、教えを聞いて自分の姿を照らされること、そして共にそのことを確かめていく仲間があることが人間の喜びなんだと思います。

「永代経法要」は文字通り永代にわたってお経が読みつがれることを願って勤められる法要ですが、お経の一字一句を勉強して伝えていく努力をしていくことではありません。自分を抜きにせずに教えにふれていく、教えられていたのはまさに私のことだったんだなという「頷き」をいただくこと、その姿が必ずあとの方に伝わっていきます。その姿を伝えていくことが永代経のこころなのです。

※次回の定例法要は、7月9日(日)に勤められるお盆法要。ご法話は藤本愛吉先生(三重・正寶寺住職/京都大谷専修学院元指導主事)です。ぜひお参りください。

 

2017永代経
2017永代経1
2017永代経6
2017永代経 (2)

2017年6月の言葉

人は去っても その人の言葉は去らない

人は去っても その人のぬくもりは去らない

人は去っても 拝む手の中に帰ってくる

中西智海


2017年5月の言葉

自力の生活とは
自分の努力したことを誇る生活。
他力の生活とは
努力できることを喜ぶ生活。

宮城顗


2017年4月の言葉

自分の思いにかなう自分だけを愛しているのなら

それは本当に自己という存在を愛したことにならない

 

宮城顗