「春彼岸法要」が勤められました。

2016年04月02日

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3月21日(月)振替休日
春の彼岸法要が勤められ、大勢の皆様にお参りいただきました。仏前で手を合わせてお念仏申すご縁をいただくということは、私たちを導いてくださる諸仏として亡き人と出会う、新しい関係の始まりでありましょう。ご法話は京都から松井憲一先生(京都・道光舎主宰・道専寺前住職)にご出講いただきました。

〈法話聞書〉
「人は出会いによって豊かになり、別れによって深くなる」こんな言葉があるお寺の掲示板にありました。お彼岸でございますから、大切な方とのお別れがご縁でお参りをいただいている方も多かろうと思います。私たちをして、こうしてお寺に足を運ばせたもとは、亡くなった人が諸仏として私たちを呼び出して、この席に座らせている、そういう大きなはたらきをしていてくださっているのであります。

『同朋新聞』3月号に、笹原留似子さんのインタビュー記事がありました。亡き人を見送る場で、亡くなった方を安らかな表情に戻して棺にお納めする復元納棺師さんです。東日本大震災直後に被災地に入り「復元ボランティア」として多くのご遺体を復元されたそうです。
「人は死んだら終わりではない。その人を思えば多くの問いをいただける。確かに体は終わってしまうけれども、生きている人たちが教えられることがいっぱいある。(中略)亡くなった人たちが生きている人たちのいのちを輝かせるような関係を作ってくれることだと思います」と。

通夜・葬儀の場においてさえ、私たちは涙を流していても自分の思いと重ねて、自分の思いで泣いているかもしれません。亡き人のために泣くものだと思っていたが、大切な人を亡くした自分の寂しさで泣いている。厳しくもそういう自分の姿を教えられることがあります。どんな悲しみの時にも自分の都合が入ってしまう、それが私たちのありようです。その自分の都合をきちんと見せてくださるのが仏さまの智慧の光。私の闇(暗さ)を破ってくださる光です。亡き人は私たちが気が付かないような生き方の暗さというものを徹底的にあぶりだして見せてくださる、そういうはたらきがある。そのはたらきに「なるほどそれは私のことでありました」というのが南無阿弥陀仏です。頭が下がって「無量のご縁でありました」と気が付くのです。

※次回の定例法要は、5月22日(日)に勤められる永代経法要。ご法話は佐々木正先生(草愚舎主宰・萬福寺前住職)です。ぜひお参りください。

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