「報恩講」のご案内【オンライン参拝可】

報恩講(宗祖親鸞聖人759回忌)ご案内【オンライン参拝可】

報恩講はお念仏の中に生かされるいのちの喜びをお一人お一人の掌に見出す集いです。新型コロナウイルス(COVID-19)防疫のため、オンラインでもご参拝いただけるように準備しています。ぜひお参りください。
日 時  11 月 3日(文化の日) 11時より
日 程  11:00 開会・勤行・法話  12:30 閉会  おときはお持ち帰り弁当を配布。
法 話  平松 正信(ひらまつ まさのぶ)(専行寺住職)
法要志  おこころざし (オンライン参拝の方は試行中のため無料)

※ 当初ご法話をお願いしていました竹部俊昭先生(富山県南砺市 妙蓮寺住職)には、来年の報恩講へのご出講をお願い致しました。
※ 本堂は換気を徹底し座席の間隔をあけてご着席いただきます。本堂が満席になった場合、1階仏間のモニターにてお参りいただきますこと予めご了承ください。
※ オンライン参拝を希望される方はYouTubeにてご視聴(参拝)ください。こちらからどうぞ⇒YouTube


2020年9月の言葉

仏教は
都合よく生きられたら幸せだという
夢から覚める教えです

片山寛隆


「仏教入門講座」のご案内(オンライン参加可)

日 時   10月5日(月) 13時30分~15時30分頃

法 話   『正信偈のこころ』(連続講座ですが、途中からでもお気軽にどうぞ)

講 師    海法龍(かいほうりゅう) 先生(長願寺住職・東本願寺教化教導)

会 費    500円     今後の開催予定   12/2(水) 2021・2/4(木)

※ ご自宅などから視聴を希望される方は本ホームページの「お問合せフォーム」からお申込みください。→お問合せフォーム
改めてメールにて招待状(Zoomへの参加URL)をお送りします。

【 初めてzoomをご利用になる方へ 】
こちらのサイトに解説動画(マニュアル)があります。ご参照ください。→zoomマニュアル

ご不明な点がございましたら、返信メールにてお気軽にお問い合わせください。


「秋彼岸法要」のご案内(オンライン参拝可)

ご門徒の皆様へ《秋彼岸法要ご案内》

新型コロナウイルス(COVID-19)防疫のため、オンラインでもご参拝いただけるように準備しています
日 時 9 月 20 日(日) 11時より
日 程 11:00 開会・勤行・法話  12:30 閉会  おときはお持ち帰り弁当を配布。
法 話 百々海真(どどみしん) 先生(了善寺住職・東本願寺教化教導)
法要志 おこころざし (オンライン参拝の方は試行のため今回は無料)

※ 本堂は換気を徹底し座席の間隔をあけてご着席いただきます。本堂が満席になった場合、1階仏間のモニターにてお参りいただきますこと予めご了承ください。
※ オンライン参拝を希望される方はYouTubeにてご視聴(参拝)ください。こちらからどうぞ⇒YouTube
※ 専行寺早稲田墓地へ参拝される方は、宝泉寺様への車両乗入れはご遠慮ください。


2020年8月の言葉

自分を悩ませている問題しか
自分を立ち上がらせるご縁はない

坂東性純


「仏教入門講座」オンライン配信のお知らせ

今月の「仏教入門講座」はZoomによるオンライン配信にて聴聞いたします。

日 時  8月31日(月)14:30 (時間が変更になりました。ご注意ください)
法 話 「正信偈のこころ」海法龍 先生(横須賀・長願寺住職/東本願寺教導)
     ※連続講座ですが、途中からでもお気軽にどうぞ!
参加費 オンライン試行のため今回は無料

※海法龍先生はご自坊の長願寺(横須賀)からオンラインでご法話いただきます。
※専行寺本堂での法座(合同視聴会)も開催いたします。(12名まで)
※ご自宅などでの視聴を希望される方は本ホームページの「お問合せフォーム」からお申込みください。→ お問合せフォーム
当方よりメールにて招待状(Zoomへの参加URL)をお送りします。
【 初めてzoomをご利用になる方へ 】
こちらのサイトに解説動画(マニュアル)があります。ご参照ください。→こちら
ご不明な点がございましたら、返信メールにてお気軽にお問い合わせください。


法話ライブ配信のお知らせ!【8/15】

新型コロナウイルスの感染拡大により、不安な日々をお過ごしの事と存じます。罹患されたすべての方々にお見舞い申し上げますと共に、皆様のご自愛を念じ上げます。
私たち真宗大谷派でも行事の中止や規模縮小があいつぎ、仏法聴聞の場が激減していることは心苦しい限りです。この機会に、インターネット配信にて仏法にふれていただこうと企画された「法話ライブ配信」です。今回は当寺の仏教入門講座にもご出講いただいています海法龍先生です。ご視聴いただければ幸いです。

日時 2020年8月15日(土)19時30分より

法話 「お盆とコロナウイルス」

講師 海法龍師(長願寺住職)神奈川・横須賀

主催 浄土真宗法話配信有志の会

YouTubeへはこちら→浄土真宗Live


法話ライブ配信のお知らせ

新型コロナウイルスの感染拡大により、不安な日々をお過ごしの事と存じます。罹患されたすべての方々にお見舞い申し上げますと共に、皆様のご自愛を念じ上げます。
私たち真宗大谷派でも行事の中止や規模縮小があいつぎ、仏法聴聞の場が激減していることは心苦しい限りです。この機会に、インターネット配信にて仏法にふれていただこうと企画された「法話ライブ配信」です。ご視聴いただければ幸いです。

日時 2020年8月1日(土)20時より

法話 「摂取不捨」

講師 青木玲師(九州大谷短期大学准教授)

主催 浄土真宗法話配信有志の会

YouTubeへはこちら→浄土真宗Live


「お盆法要」が勤められました。

7月5日(日)

お盆法要は、新型コロナウイルス防疫のため、第1法要(午前)第2法要(午後)に分け、それぞれ1時間弱の短い日程でお勤め致しました。玄関での検温。受付にはビニールカーテン。各所に消毒液。参加者全員マスクを着用。各法要とも本堂と仏間に分かれて座席間隔を広くとり、換気も徹底して開催されました。防疫のためとはいえ、寺の行事としては少々ものものしい雰囲気でもありました。合同法要への参拝にご不安のある方々には、個別に寺やご自宅でお勤めいただきましたので、参拝者は例年の半数ほどでしたが、それでも「久しぶりにお寺に出かけられて嬉しかった」というお声も多く聞かせていただき有難いことでした。法話は住職(釋正信/平松正信)の自勤。

法話聞書(抄出/文責・専行寺)

・「お盆」とは古代インド語サンスクリットの「ウランバーナ」の音写語「盂蘭盆(うらぼん)」を略した言葉。漢訳は「倒懸(とうけん)」といい、逆さ吊りの苦しみを意味します。私たち念仏の伝統においては、それを「真実に背いている私たちの姿」であると教えられます。

・お盆を迎え、亡き方を追憶されることも多いことと拝察します。家族というものは、ふだん何でも言い合って、そこで出会っているように思っています。ところが、亡くなられてみて初めて、その人の「ほんとうの願い」にふれるようなこともあります。感謝よりむしろ懴悔の気持ちが涌きおこることもありますね。そういう気付き、故人との改めての出会いというものが、手を合わせる心を深めてくれるのかもしれません。

・新型コロナウイルスの感染拡大で、経済的にも精神的にも不安を抱えている方が多い昨今です。今うっかりマスクを付けるのを忘れるとぎろっと睨まれますね。電車内で咳やくしゃみをされると逃げたくなりますし、マスクなしで大声でしゃべっているのを見ると腹も立ちます。誰しもうつされたくないですから、当然の反応でもあります。あるいは、感染者や医療従事者とそのご家族に向けて差別や偏見が生じています。私たちの姿がそこに映し出されています。朝日新聞に作家の吉村萬壱さんがこんな文章を寄稿されていました。

「我々は現在、自分や大切な人を守るために、その本能的感覚を呼び覚まそうとしているのかも知れない。その感覚の根底には、恐怖の感情がある。ウイルスは目に見えない。誰が感染しているかも全く分からない。すると次第に周りの人間の全てが化け物に見えてくる。それと同時に、自分もまた感染者かも知れないという疑念が湧き起こる。その恐怖に加えて、果たしてこの先、生活していけるのかという生存の恐怖がある。ある飲食店主は自らの先行きに関して『震えるほど怖い』と言っていた。それは多くの人々に共通する感覚だと思う。今や我々は、戦争や公害病や自然災害などと同様、歴史的な災厄に見舞われた当事者としての日々を生きている。未知の歴史的な出来事に対して当事者が怖がるのは、当たり前のことだ。しかしこの恐怖は、我々にとって本当に未知のものなのだろうか。ずっとこの恐怖を味わってきた人々が、我々の社会の底辺にいなかっただろうか、と考えてみることには意味がある気がする。不安定な生活に震えるほど恐怖し、他者を化け物のように感じながら生きてきた人々はずっと存在してきたに違いない。そしてこの災厄で、新たに大量の人々が同じ目に遭ったということではなかろうか。この災厄は、普通の善良な人々が、ある人々にとっては化け物や捕食者となっていたようなこれまでのいびつな社会のありようを、我々に問い直しているかのようだ」

・「自分だけは絶対うつるもんか」と意識を尖らせているうち、周りは化け物だらけに見えてくる。誰かの接近に身構えたり敵意に怯えてしまう。しかし、不安定な生活に怯える人はコロナ禍以前から社会にあったに違いないと。多くの人々が普通の人を化け物と感じて生きざるをえなくなって、社会のありよう、もっと言えば人間のありようが改めて問われているのではないかと。最後にこう書いておられました。

「『自分だけは絶対うつるもんか』と考えると周りは化け物だらけになるが、『自分は絶対に他人にうつさないぞ』と考えるだけで、周りの化け物は人の顔を取り戻すものである」

「自分だけは絶対うつるもんか」というモノサシでは、他人は自分に害悪をおよぼす化け物にしか見えません。その化け物の顔が人間の顔を取り戻すことが私たちに起こるのでしょうか。

・中島みゆきさんに「Nobody Is Right」というタイトルの楽曲があります。直訳すると「誰も正しくない」。1番はこんな歌詞です。

「もしも私がすべて正しくて とても正しくて 周りを見れば
世にある限りすべてのものは 私以外は間違いばかり
もしもあなたがすべて正しくて とても正しくて 周りを見れば
世にある限りすべてのものは あなた以外は間違いばかり
つらいだろうね その一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうね その一生は 軽蔑だけしかいだけない
正しさと正しさとが相容れないのは いったいなぜなんだ
Nobody Is Right  Nobody Is Right  Nobody Is Right 正しさは
Nobody Is Right  Nobody Is Right  Nobody Is Right 道具じゃない」

そして2番にはこんな歌詞があります。

「争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く

その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」

人類の歴史は戦争の歴史であるとも言われます。それぞれが正しさを握って、正しさゆえの争いが始まる。国同士の争いには、時に民族問題や宗教も絡み、神仏のお墨付きの正しさを旗印に「聖戦」と呼ばれる争いさえ行われます。宗教の定義はひとまずおくとして、そういう現実があります。そして国と国だけでなく、私たち一人ひとりも周りの人との関係において、いつも自分の正しさを握っています。「自分が一番かわいい」という自我の分別によるモノサシは変えることはできません。私たちはその時の自分の都合によって目盛りがコロコロ変わってしまうような不確かなモノサシを握りしめ、時には振り回して周りを傷つけ自分さえも傷つけていきます。

・蓮如上人の『御文』に「一生はむなしくすぎゆくように候うこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候う。あさまし、あさまし」とあります。「(信も定まらぬまま)一生が甲斐なく過ぎ去っていくこと、まことに自損損他(自らを傷つけ他も傷つけていく)の罪から逃れられることはなく、まったく哀れなことだ」と。「つらいだろうね その一日は 嫌いな人しか出会えない」「寒いだろうね その一生は 軽蔑だけしかいだけない」。そういう私たちの生き方は、中島みゆきさんの言葉通り、孤独になっていくしかありません。しかし、自我の闇に沈む私たちの眼差しはそのことを痛ましいとも思いません。

・闇の中では手探りですから、自分が握りしめたものだけがたよりです。そこに光が差し込むと自分が握りしめていたのは物事の一面や一部分だったことに気づかされる。そういう人間の姿というものをずっと悲しんでおられる仏さまの光にふれることで、底知れぬ自我の闇に沈む私たちが本当の姿を知らされるのです。自我という殻の中に閉じこもっていた自分に気付かされ、広い仏の世界があることを知るのです。「頭を下げる世界」ではなく「頭の下がる世界」との出会いです。
・亡き方を縁にこうして仏縁にふれていただくということは、亡き方と仏さまとしてもう一度出会うこと、自分の姿を照らし出してくださる光として出会うことにほかならないのです。

※次回の定例法要は、9月20日(日)秋彼岸法要。講師は百々海真先生(東本願寺教導・了善寺住職)です。ぜひお参りください。
※新型コロナウイルス感染拡大の状況などにより予定を変更する場合もございます。

2020お盆法要3
2020お盆法要2
2020お盆法要1
2020お盆法要6
2020お盆法要4
2020お盆法要5
2020お盆法要7

2020年7月の言葉

人間を支えているものは
人間でないものも支えている
生命を支えているものは
生命でないものも支えている
生を支えているものは
死も支えている

志慶眞文雄