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※浄土真宗の葬儀について、詳しくお知りになりたい方は『真宗門徒の葬儀-悲しみを深き縁として-』(真宗大谷派東京4組発行・72頁・300円・送料別)をご覧ください。購入ご希望の方は当寺までご連絡ください。
冊子内容の一部をご参考までに下記にご紹介いたします。
「お清め」は不要です!
日本では昔より、死そのものを怖れる心から、「死は穢れたもの(死穢)」とする考え方があり、そして死を忌み嫌うことから出た様々な風習が伝わっています。例えば「お清めのお酒」や、火葬の後の「清め塩」などです。
その多くは、習慣として何の疑問もなく行われてきましたが、考えてみれば、生前には家族であり親しかった方を、亡くなったとたんに手のひらを返したように「穢れたモノ」として「お清め」するというのは、まことに愚かで悲しいことです。
私たち人間は、誰しも死に対する不安や怖れ・悲しみを抱えています。それらのものから逃れたいという心が、「お清め」に代表される行為を生んできたのでしょう。しかし、私たちが抱える死に対する不安や怖れ・悲しみは、こうしたおまじないのような行為で本当に解決されるのでしょうか。
明治期に活躍した大谷派僧侶・清沢満之師は、「生のみが我等にあらず。死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり」(『絶対他力の大道』)といわれました。生きることだけではなく、死することも含めて私たちのいのちの厳粛な営みであると教えられているのです。
仏教では死を穢れとして受け止めることは決してありません。「生死一如」であるいのちを見失っている私たちに、死への不安や怖れを本当の意味で超えていく眼差しを与えてくれるものなのです。
「あなたはこの限りある生をどう生きていくのですか?」
大切な方の「死」という事実が、私たちの「生」にこのような厳粛な問いかけを与えてくださっています。悲しみを深き縁として、それぞれが自分の生きざまを教えに尋ねていく出発点が葬儀なのです。
こうしてみると、「お清め」という行為は、亡き方を貶めるばかりか、私たちの「生」をも見失わせることになる迷信であり、一切不要であることが知らされます。会葬礼状の中に形式的に「清め塩」を入れて配るようなことも不要です。
こうした迷信に対して、はっきりした態度をとりたいものです。
『真宗門徒の葬儀―悲しみを深き縁として―』本文より
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君に伝えたいことがある。
こころの傷は、だれでもない君であるあかしなんだ。
言い負かされることだって、君の生きている足あとじゃないか。
よいこともわるいことも、すべて君が生きているあかし。
なにひとつかくしたり、消すことはない。
すべて君の大切なあゆみなんだ。
胸をはっていつもの道をいつものように歩いたらいい。
『君はそのままでいいんじゃないか』サガエさん作(東本願寺出版部)より一部抜粋
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