4月16日(木)専行寺を会場として、所属する真宗大谷派東京4組(新宿区を中心とする20ヶ寺のブロック)の合同法話会「東京4組同朋会」が開催されました。
テーマは「真宗門徒として生きる-どこで私は仏教徒といえるのか?-」。講師は松井憲一 先生(京都・道光舎主宰 / 道専寺前住職)。
ご法話の中で、朝日新聞一面の新コラム「折々のことば」から、ニーチェの言葉と選者である鷲田清一さんの文章をご紹介くださいました。
「各人がそれぞれ自己自身にもっとも遠い者である」(ニーチェ)
「『道徳の系譜』のなかで引かれているドイツの格言。最も見えにくいのは自分自身である。ということは、自分を他者のほうから見る術(すべ)を磨く必要があるということだ。だからまた、自分がほんとうは何も知らないということを知っている人が、いちばん賢いということにもなる。私の看板であるこの顔、それをよりによって自分だけが見られないことの怖さに心が凍りつく」(鷲田清一)
仏教でいう「凡夫」「愚」という言葉は、ものを知ってるとか知らないという意味での愚かさをいうのではありません。自分のことがほんとうには見えていない私たちに、仏さまから呼びかけられている言葉です。にもかかわらず「凡夫だから…」と言い訳に使い、「愚かなのはあいつだ」と決めている。「経教はこれをたとうるに鏡のごとし」(善導)と教えられます。 鏡の前に立って初めてそんな自分が照らされるのでしょう。