「仏教入門講座」が開催されました。

2015年09月02日

トップ > お知らせ > 「仏教入門講座」が開催されました。

8月24日(月)

仏教入門講座が開催されました。ご法話は海法龍 先生。「正信偈のこころ」をテーマにお話しいただいています。今回は「一切善悪凡夫人・聞信如来弘誓願」の一節を手がかりに、人間の「善悪」の問題と「業縁存在」ということについて詳しくご教示いただきました。

 

〈法話聞書〉

「私たちはこの身を持って生まれてくる。この身を持って生きている私がいて、もうひとつ自分ということを意識する私がいる。自意識です。仏教でいう自我。この身は自分で作った身ではありません。この身は単なる肉体ではなくて、私が私になってきた歴史的背景を持っている。事実は身が先ですが、自意識はどこまでも自分ということが中心で、この身とその歴史が見えなくなる。自意識が満足することが一番の目的になってしまうのです」

「仏教でいう“分別”とは人間の意識の作用をあらわしています。この身を持っているがゆえに、それを保つために善悪の価値観が生まれる。すべて善と悪に分け別して考える。時代が変わっても善悪という心の作用は変わりません。何が善か悪かということは時代によって変わってくる。今の時代の善悪の基準は経済であり、戦前戦中は国家神道体制の価値観でしょう。利害の合わないものを力で排除していく。人間のものの考え方が人間を傷つけていくことになってしまう。そういう価値観を人間は誰もが持っているのです」

「仏教は人間というものを“業縁存在”と観ています。業というのは歴史。たとえば病気の体質など、この身が持っている業もあるし、善悪の価値観も持っている。そこには両親・家・地域・国・その時代によって育まれてきた歴史がある。その影響を身に受けながら縁としていく業縁存在です。この身と善悪の価値観を見失って生きてきた歴史がそこに見えてくる。そこに目を開いていくことが“信心”だと、そういうことを教えは私たちに伝えようとしているわけです。すると、そこには過去をこの身にいただいて未来を考えていく責任がある。その責任を持って生きることが南無阿弥陀仏のお心です。鈴木大拙先生は“業”という言葉を“Responsibility(責任)”と英訳されました。私と人類の歴史にはひとり一人に責任があるということなんです」

〈次回予定〉

日時  10月1日(木)14時から。

法話  「正信偈のこころ」海法龍 先生(長願寺住職/首都圏広報誌『サンガ』編集委員)

※これから仏教を聞いていきたいという方にもわかりやすい入門講座です。連続講座ですが途中からでもお気軽にどうぞ。引き続き16時から「ピラティス教室」(申込制)も開催されます。ご予定ください。

仏教入門講座2015・8

 

 

2015・8 朝顔