「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」

2015年04月03日

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お釈迦さまの誕生日である「花まつり」(4月8日)がめぐってきました。全国津々浦々で「灌仏会(かんぶつえ)」「降誕会(ごうたんえ)」などと呼んで、いろいろな行事が行われます。

お釈迦さまの誕生については有名なエピソードが残っています。誕生されてすぐ七歩を歩み、天と地を指さして「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたと伝えられているのです。現代に生きる私たちからすれば、荒唐無稽なことのように感じられますが、このような伝説として表現されてきたことのなかに、私たち人間の「誕生の意味」が教えられているように思います。

「天上天下唯我独尊」というお言葉は「全宇宙の中で自分が一番尊い」という傲慢な言葉のように誤解されます。この「唯我独尊」を「ただ我ひとりとして尊し」と読むと意味がはっきりします。人とくらべてその優劣を述べるものではなく、比較を絶して「無条件に尊い」ということをあらわしているのです。

私たちは身につけた飾りによって、他人と比較して自分を確かめる。そんなことを常日頃から無意識のうちにやっています。「隣に蔵が建つと腹が立つ」などという言葉も耳にします。自分の生活は一点一画も変わっていないのに、周囲の状況によって幸せを感じたり、不幸になったような思いになる。ここに私たち人間の根深い問題が顔をのぞかせているのではないでしょうか。

経典の中に「心のためにはせ使われて安き時あることなし」(『仏説無量寿経』)という言葉があります。なるほど「比較する心」のためにいつも一喜一憂して、本当の安心ということを味わうことができない。これが私たちの日常の赤裸々な姿といえるかもしれません。

誕生仏に甘茶をそそぐ「灌仏(かんぶつ)」は、お釈迦さまが誕生した時、龍が天上からやってきて香湯をそそいで産湯をつかわせたという伝説にちなんでいます。この誕生仏は、身に何もまとっていない裸のお姿です。私たちはどれだけ多くの飾りや衣装を身にまとっているかしれません。そしてその飾りや衣装を自分と思いこみ、一喜一憂して暮らしています。しかし、「諸行無常」の言葉の通り、最後にはすべてが失われて裸になって死を迎えなければなりません。その「裸のままのいのちが無条件に尊い」その事実に目覚めるためにこそ人間に生まれたということを、仏教として明らかにされた方がお釈迦さまなのです。

お釈迦さま誕生のエピソード、そして「天上天下唯我独尊」というお言葉は、人間としての「生」をいただいた私たちの生涯かけての宿題を教えてくださっています。

花まつり1
花まつり3