「今、ここ」があってこそ
過去に学び
未来に責任を持てる
四衢 亮
(2025年05月)
日々を過ごす 日々を過つ
二つは一つことか
生きることはそのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」とはがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と問い合わせでもするようで―
吉野 弘 「過」
(2025年04月)
他者に誠実であるということは
言葉に誠実であるということだ
谷川俊太郎
(2025年02月)
人生はつねに現在
去年今年(こぞことし)
安原 葉
(2025年01月)
迷信そんな信はありえない
自分が自分の心に迷うのです
安田理深
(2024年12月)
縁は賜るものであって
自分で決めることのできないもの
宮城 顗
(2024年11月)
時間とは、生きるということ、そのものなのです。
そして人のいのちは心を住み処としているのです。
ミヒャエル・エンデ
(2024年10月)
自分の思いや希望を叶える場所が人生ではありません
いつも新しい自分に出会い
その自分から目を逸らさずに人生を生きていく
自分に出会う場所が人生です
そのことに気づきなさいと
私たちに寄り添い願いをかけ
教えをもって呼びかけるのが如来の本願なのです
四衢 亮(よつつじ あきら)
(2024年08月)
ものを取りに部屋に入って何を取りに来たのか忘れて戻ることがある
戻る途中でハタと思い出すことがあるがその時はすばらしい
身体が先にこの世に出てしまったのである
その用事が何であったか
いつの日か思い当たる時のある人は幸福である
思い出せぬまま 僕はすごすごあの世へ戻る
杉山平一
(2024年07月)
明日死ぬかのように生きろ
永遠に生きるかのように学べ
マハトマ・ガンジー
(2024年05月)